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宮崎さんのインタビューより覚え書き / 20051221 13:38:10
もう掲載が終わってしまいましたが、糸井重里氏の「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されていた宮崎駿氏のインタビュー映像から、心に残った言葉を、覚え書きとして抜粋しました。

「千と千尋」以降、取材をほとんど受けることの無くなった宮崎さんの貴重なインタビューだった。僕の好きな「ハイジ」についても話してたし。僕が知る限り、宮崎さんの話がネット上に掲載されたのは、糸井さんのサイトと、CyclingTime.comのこのページだけ。


- 覚え書き -

「子供の魂に触れるために映画を作る」
子供の魂は大人には無いものがある。たとえば、無邪気さとか純粋さとか、そういうことではなくて、時として残酷になったり、母親から生まれ出る力とか、大人の忘れているDNAの記憶、そのような熱源に触れたいというのがひとつの映画を作る原動力になっている。

「どう橋を架けるか」
子供達にはこの世界に良く生まれてきたね。いらっしゃい。という映画を作りたい。ただ、その一方で、彼らが今後直面する難題が待ちかまえている。温暖化とか、その他いろいろ。そこを、作り手としてはどう、その両者に橋を架けて映画を作るかという問題がある。

「映画の時代は終わった」
1950年代、もっと特定すると、昭和28年(1953年)をピークに減衰した。

「誰に見せたいかということが分かっていると、映画は作れるんですね」

「面白いものは映画の中ではなく、その向こうにいっぱいあるんだ」
その通りだと思うし、そういう映画作りをしたいと思う。


その他、テレビや映画は、集中してみることはほとんど無いが、ケーブルテレビに入っていて、ツール・ド・フランスと、ジロ・デ・イタリアは見ている、と言ってました。J SPORTSですね。白戸太郎の実況を聞いてるんですね。
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コメント
≪この記事へのコメント≫
 
ところで、「子供」って何だろう?

「大人」との違いは?

どの社会でも子供に禁止されているものがあります。
映画とかの年齢制限(15・18禁)とか…。つまり、死と性(生?)を子供から遠ざけようとしています。

しかも、その禁止されているものは、ヒジョーに人間にとって大切で大事なことだったりします。それを子供に見せない・教えない理由とはいかに!?
2005/12/21(水) 16:37:36 | URL | tani #-[ 編集]
 
それは、それを決めている映倫に聞いてみるのがいいと思います。ホームページにもいろいろ書いてあるよ。→http://www.eirin.jp/ 僕が思うに、これは建前で、まぁ、上納金のようなものだと思います。映画1本あたり審査経費に確か50万円くらいかかります。でも、審査しない限り、一般の劇場公開はできません。
2005/12/21(水) 18:22:07 | URL | adu #-[ 編集]
 
いや、映画の年齢制限については、いわゆる「子供に禁止されているもの」の一例を挙げただけです。

要するに、「子供向きのアニメなんて嘘ばっかりじゃん!」っていう側面がないかと。

嘘でない、真実はキツイですから…。

殊に、子供のために(?)つくるアニメって何だろうと思うのです。
2005/12/22(木) 00:18:06 | URL | tani #-[ 編集]
 
作品や、作り手の考えによって、いろいろあると思う。映画が、表現や手法によって、ある部分で現実よりリアルに視聴者に迫るということがよくあると僕は思います。何が真実か…それは、人によって違うと思うし、また、何を見せるのか、というのも、作り手の考え方によって、様々だと思います。
2005/12/22(木) 01:28:28 | URL | adu #-[ 編集]
 
確かに。

個人的には、宮崎氏の「ハウル」の戦争の描き方が納得できなかったのです。
あれでは「戦争も悪くないじゃん!」という印象しかうけないような感じ。

「ハウルは反戦映画だ」と思っている人がいるようですが、ある意味スゴイ想像力だと思います。
2005/12/22(木) 18:56:21 | URL | tani #-[ 編集]
 
吊られているような気もするがマジレスしてみる。

『ハウルの動く城』は反戦映画か否か、おそらく宮崎さんに聞けばNOと言うだろう。特にそれだけを意識して作った映画とは思えないし。かと言って、全くその要素が無いとも思えない。

この映画は戦争についての描写がとても多い。戦争映画といっても過言でないほど、戦争にまつわる要素がそこかしこに登場する。宮崎さんが「戦争」について、語ろうとしていないとは思えない情報量といってしまって間違いないだろう。では、宮崎さんは、「戦争」について、何を語ろうとしていたのだろうか? まず、少なくとも戦争賞賛映画では無いことは、とくに理由を挙げなくてもいいだろう。もし、そうだという人がいたら、とても想像力があると思うので理由を聞きたい。

この映画の戦争描写は、極端に、そして明確に2通りの描き方に分けられていることに気付く。

ひとつは、冒頭、ソフィーが町の中を通るときに描かれる戦争(戦争描写A)。これから、戦場に向かうと思われる兵隊達。彼らは、ソフィーをナンパしたりする。または、子供が軍旗を笑顔で掲げていたり、兵隊達がダンスをしたり、談笑したり、女の子をくどいたり、戦争の悲惨さは微塵も感じられない。

そして、もうひとつは、ハウルが夜な夜な向かう戦場(戦争描写B)。燃える住居、炎、生理的に嫌悪感を覚えるような不気味なシルクハットの生物、爆撃。ここには、笑顔は無い。この映像をみて、戦争を賞賛していると感じる人は、あまり多くないと思う。

(サリバン先生も、戦争のもう一通りの描写ではあるが、ここでは置いておく。)

下記は、それぞれの描写のスクリーンショット

戦争描写A
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戦争描写B
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宮崎駿は、何故、戦争描写にこのような極端な2通りの描写、シークエンスを用意したのだろうか? 何も意図が無いとは考えにくい。

ここからは、私の推論だが、宮崎駿は、現実に進みつつある、時代の流れに対する彼自身の危機意識を、ここで表現したかったのではないだろうか?

ひとつは、美化されがちな戦争。つまり戦争描写A。時として世論的な熱気・熱狂は、現実を美化し、ともすれば、賞賛すべき出来事として捉えてしまう。ナチスを支持するドイツ国民や、兵士を万歳三唱で送り出すかつての日本国民がそうだ。(もちろん賞賛しない人もいたわけだが)

そして、もう一つは、実際に、東部戦線で、または、東南アジアで、そして、どちらの場合も戦争終結時に自国の領土で起こった、地獄のような現実としての、戦争描写B。

宮崎さんは、この二つの描写の間に、つながりをほとんど持たせていない。これは、戦争が同時に、両者を連れてやって来るにもかかわらず、その現実を、捉えきれない人たちを表現しているのではないかと、思う。

過去の戦争でも、現実は隠蔽されてきた。

宮崎さんは最近のインタビューで(とは言っても『千と千尋』以前)、自分は悪人や悪行を映画にしたくないと言っていた。実際は、本人も、どうしようもない、負の感情を持つことがしばしあると吐露しながら、それでも、そんなものは、自分は映画にするつもりは無いと言っている。やろうと思えば、我々のよく知る、負の感情を映像にすることは容易だが、そんなものは、現実の世界に、いくらでもあると。自分がやる必要があるのかと。それよりも、人間の善い部分にスポットを当てたい…と言っていた。あえて、自分が子供達に負の部分を見せる必要は無いと。

僕は、ものを作る人間として、この発言にとても共感している。僕も、『セブン』を作るつもりはない。子供に娯楽作品として、このような映画を作るつもりもない。もちろん、子供に、現実に起こりうる人間の所行として、負の可能性については身を守る術として教えるが、だから、娯楽作品としては作らない。そんなことは、映画で教えることではなく、周りの大人が責任を持って教育することだ。映画にそこまで社会的責任を負わせる必要は無いだろう。(個人的に『セブン』が嫌いというわけではないが。はじめてみたときは、すごい映画だ!と思った。今はだいぶん印象が違うが。)

しかし、『ハウル』では、宮崎駿は直接的表現は避けたものの、ゆっくりと、右極に傾きつつある今、 また、現実、終局にあるものを受け止めるチャンスを失い、破滅に向かう人間について、警鐘を鳴らしているのではないかと思うのだ。もちろん、この映画はそれだけを語りたかったとは思えないが。(そして、このことは、映画の社会的責任を果たしたいからではなく、彼個人の想いでやっているのだと思う)

彼は、時代の空気に流される人たちと、その裏にある事実について、言いたかったと思うのだ。

宮崎さんは、『千と千尋』以降、ほぼ全くインタビューを受けていない。彼の主張はその映画の中にあると思って、間違いない。
2005/12/25(日) 21:47:58 | URL | adu #-[ 編集]
 
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